風のローレライ


第4楽章 風の落葉

4 心の中の光と闇


その夜は、何だか心が落ち着かずに眠れなかった。

――ご両親は拘留中なのでね、取り合えず学校に連絡して、担任の先生に来てもらったんだ

――月見草だよ。かわいそうに、茎が折れ掛けていたんだ

――名門だって? ふざけんなよ。あんなろくでもない学校

――力におぼれれば、いつかその泥沼に引きずり込まれて這い上がれなくなる。そうなってもいいのか?

いろんなことがあり過ぎて、頭の中が混乱していた。それに、消防車の音がやけにうるさい。そしてまた、あの風の声を聞いた。
何を言っているのかまではわからなかったけど、あのモヤのような気味悪い声が一晩中、部屋の中を漂っていた。

朝、リビングに行くと皆がテレビの画面に見入っていた。流れているのは昨夜起きた火事のニュースだった。
「……延焼した炎は隣家の小林さん宅を巻き込み、明け方4時にようやく鎮火しました。尚、この火災で西崎社長夫妻並びに隣家の夫婦の死亡が確認されました。他に複数の怪我人が出ている模様です」
淡々と読み上げるニュースキャスター。
「西崎って……」
思わずそう呟いたわたしにメッシュが言った。
「忍のとこだ」
「じゃあ、社長夫妻って、彼女の両親ってこと?」
「ああ」
力なくうなずく。
「それに、隣の家って、リッキーの家じゃないの?」
夏海さんが言う。
「そんな……!」
わたしは思わず口を押さえた。
メッシュはケータイを握り締めて言った。
「多分な。連絡入れてみたけど、ちっとも繋がらないんだ。あいつが巻き込まれたのは確かだと思う」
その表情は暗かった。わたしは何と言ったらいいのかわからずに、おばさんが注いでくれたコーヒーの液体を見ていた。
「そういえば、西崎さんとこの娘さんって、キラちゃんのクラスメイトだったんだよね?」
楓さんの言葉に、わたしは黙ってうなずいた。しかも、ニュースはさらに残酷なことを告げていた。春から経営に行き詰まっていた会社が不渡りを出し、倒産の危機にあったと言うのだ。そして、追い詰められた社長自身が火を放ったのではないかという。消防士によって救出された家政婦がそう証言したと報じられていた。

「かわいそうに……。その子、どうなっちゃうんだろ?」
夏海さんも心配そうな顔をする。
「これだけの情報じゃ、ぜんぜんわかんないよ」
皐月さんがイライラしたように言う。

まさか、こんなことになるなんて思いもしなかった。
リッキー……。あんたは無事だよね? 無事でなくちゃいやだよ。だって、こんなのってひど過ぎる。育美さんを亡くしてから、まだたったの1月半しかたっていない。それで、今度は火事で家も両親もなくしちゃうなんて……。

その日の午後、わたしは裕也達といっしょに病院へ行った。リッキーは煙を吸って倒れていたところを消防士の人に救助され、病院へ運ばれたという。
右腕に軽い火傷と骨折があって、ドラムを叩くのは当分無理みたいだけど、助かって本当によかった。

彼はわたし達の顔を見ると、喜んでくれた。けど、やっぱりつらそうな表情はかくせない。
「……姉ちゃんの遺書」
そうぽつりと言った。
「燃えちまったんだ。唯一の証拠だったのに……! それに日記や写真や、家族が使ってた何もかも……。姉ちゃんの痕跡がぜんぶ消えちまった! それが悔しいんだ」
そう言って彼は涙を流した。
「育美さんの写真、おれ持ってるよ。3年前のだけど、今度持って来てやるから……」
肩を抱いてマー坊が言った。
「小学校の時のなら、おれのとこにも1枚くらいあったかもしれない。探してみるよ」
裕也も言う。
「レクイエム……もうすぐ出来そうなんだ。育美さんのこと、忘れずにずっと伝えていきたいと思うから……」
静かな声でメッシュも言った。
「そうだよ。彼女が生きていた痕跡、絶対になくなったりなんかしない。これ、育美さんが着てた制服。わたし、ずっと大事にするから……」
わたしもそう言って励ました。
「ありがと……。でも、これで、証拠がみんななくなっちまった。姉ちゃんをいじめた奴らの足跡が……」
そう言ってうつむく。
「声を集めればいいんだよ」
わたしは言った。
「そして、みんなに証言してもらうんだ。わたし、藤ノ花の生徒と知り合ったの。今度会った時、何か知らないかきいてみようと思うんだ」
そう。明彦なら、何か知ってるかもしれない。だから……。
「みんな、ありがとな。おれは大丈夫だから……。それより、心配なのは忍の方さ」
ふっと窓の外を見やってリッキーが言う。

「あいつはお嬢様だから、こんなことになってショック受けてると思うんだ」
「彼女はどこにいるの?」
わたし達は彼女の居所を知らなかった。

「あいつは今、アメリカに行ってるんだ。帰国は来週のはずだから、多分、向こうでこのことを知らされたんじゃないかな」
「それは……ショックだろうな」
マー坊が気の毒そうに言う。

「なあ、アキラ、おまえ彼女のクラスメイトだろ? あいつの力になってくれよな」
リッキーが言った。
「力にったって……」
はっきり言ってわたしは戸惑っていた。いったいどうしたらいいの? ちっともわかんないよ。
「あいつ、ほんとはやさしくていい奴なんだよ。だから、きっとおまえとだって仲良くなれると思うんだ」
リッキーは言ったけど、わたしには、とてもそんな風には思えなかった。

「でも、彼女にはたくさん友達がいるし、きっとその子達の方がよっぽど彼女のこと、わかってあげられるんじゃないの?」
だって、あいつとは、住む世界がちがい過ぎるもの。いくら、彼女にこんな不幸が起きたからって、急にべたべたなんてできない。それじゃ、まるで、わたしが彼女の不幸を喜んでるみたいじゃない。そんな風に思われるのはいやだったし、彼女が認めないだろうって思う。それでも、リッキーは最後まで、彼女のことを頼むって、わたしに言い続けた。


2日後。学校では緊急の全校集会があった。
校長先生から火事のことや、2人の生徒の両親が亡くなったことなどが伝えられ、皆で黙祷した後、夏休み中の生活のことや防災のことなどの注意があった。でも、わたしが警察に補導されたことには触れて来なかった。
そのあと、教室に入って短いホームルームがあるということだった。

久々の教室。早苗ちゃんと西崎のいないクラスはやけに広く感じた。彼女はもう、アメリカから帰って来たのだろうか。そして、もう変わり果てた両親に会ったのか。そして、焼けてしまった家に……。
自分のことでもないのに、胸が痛んだ。
「西崎、もう来ないんじゃない?」
誰かが言った。

「来られるわけないよね。親が借金抱えて家に火を付けたなんて、サイテーの屑じゃん」
「そうだよ。今まで威張っていられたのだって、みんな借金だったんじゃない」
「見せ掛けの金持ち?」
「いやだ。かわいそう!」
「どうお慰めして差し上げればよろしくて?」
わざとらしく彼女の口まねをした女子が笑う。すると、周りにいた連中も皆、笑い出した。みんな、西崎の取り巻きだった奴らだ。

「ちょっと! やめなよ! あんた達だって、あいつにいろんな物もらってたじゃん」
わたしはがまんできなくなって言った。
「えーっ? 何言ってんのよ。桑原さん、あなた、いつも西崎からいじめられていたじゃない?」
「だからって、そんな言い方しなくったっていいじゃない」
「驚いた。桑原さんが真っ先に喜ぶと思ってたのに……」

「喜ぶ?」
その言い方にぞっとした。
普段は何も思わなかったけど、こいつらの中にも闇の風は吹いてるんだ。
「そうそう。西崎って態度デカいし、何でもお金で解決しようとするところがいやなのよね」
「人を見下して物言うしね」
「両親が死んじゃって借金もあるんじゃ、もう恥ずかしくて学校だって来れないと思うよ」
「そう。何しろ親が犯罪者だもん」
彼女達は言いたい放題だ。親が犯罪者。

――ご両親は拘留中なので

つまり、うちの親だって何かしらの罪を犯したってことだよね。だったら、わたしだって同じ……。

「さあ、みんな席に着いて」
その時、武本先生が来て言った。
「校長先生からお話があった通り、西崎さんのお家が火災にあって、不幸なことに、ご両親が亡くなられました。彼女は今日、アメリカから帰国し、今はご親戚の元におられます。ご両親の葬儀は親族だけで行いたいというご意向ですので、クラスからは出席致しません。が、もし、個人的に彼女へ励ましや慰めの言葉を書いてくれる人があれば、先生が預かって彼女の元へ届けたいと思います。今日、先生は3時まで職員室にいますので、手紙を書いてくれる人は直接僕のところに持って来てください」

そして、一人一人に白い透かし模様の入った便箋と封筒が配られた。そして、ホームルームはすぐに終わり、先生は教室を出て行った。
何を書いたらいいんだろう?
わたしは、便箋を前に、自分の席で考えていた。他のみんなはそそくさと教室を出て行き、残っているのは、ついにわたし一人だけになった。

――西崎って態度デカいし、何でもお金で解決しようとするところがいやなのよね
そう。あいつは何でも自分の思い通りになると思ってるわがままお嬢さん。わたしのこと見下して、ムカつかせてばかりいる。

――もう学校来れないんじゃない?
――来られるわけないよね。親が借金抱えて家に火を付けたなんて、サイテーの屑じゃん
だからって……。

――もう恥ずかしくて学校だって来れないと思うよ
あんた達だって屑じゃん。
上の者には逆らえない、あんた達だってただの屑じゃん!
彼女がいる時には忍様なんて言ってへいこらしてたくせに……。
状況が変わったらこの態度。なぜだかすごく腹が立った。だけど、何で、わたしがあんな奴のために腹を立てなきゃなんないの?
わたしだって、あいつにはムカついてたんだから……! 許せないって思ったことだっていっぱいある。でも、あいつの不幸を笑うなんて出来なかった。

外ではセミが鳴き、夏の空が広がっていた。窓は開け放たれているけど、教室の中は暑い。
わたしはえんぴつを持ったまま、じっと流れる雲を見つめた。不思議だなって思う。
外をいく風は透き通っていて、光にきらめいて、こんなにきれいなのに……。どうして、闇の風なんてものが生まれるんだろう?
「死んだら、どこに行くのかな……」
セミの声が風に重なる。
「なくなってしまうのかな? 何もかも……この世から消えて……。心も……」
そんなのって悲しい。そう思ったら、便箋の上に涙が落ちた。

「なくならないよ」
先生が言った。いつの間にか武本先生が教室の入り口に立っていた。
「心は死んでもなくならない」
そう言う先生の顔は、なぜか少しさみしそうだった。
「どうしてですか?」
わたしがきくと、先生は静かに言った。
「意識は風になって残るんだ」
「風に……?」
「多くは浄化され、きらめく風になるけれど、一部は闇になって悪戯をする。過去の記憶を持って世の中を翻弄しようとする」

「なぜ、わたしにそんなことを教えてくれるんですか?」
「君がいい子だから……」
「いい子? ちがいます。わたしは……」
「西崎さんに手紙を書こうとしていたんだろ?」
「いいえ!」
わたしは強く言うと席を立った。

「いいんです。もう」
先生がこちらに近づいて来て言う。
「好きだよ」
わたしは急いで鞄に道具をしまうと教室を出た。


午後、わたしは早苗ちゃんの病院へお見舞いに行った。
矢崎達の協力で、募金も随分貯まった。この分ならきっと早苗ちゃんの手術に間に合う。
わたしは彼女を喜ばせようと思ったのに、病室に入ると、彼女は暗い顔をしていた。
「どうしたの? 具合悪いの?」
わたしがきくと彼女は首を横に振った。

「ううん。そうじゃないの。ただ……」
白いベッドに横たわる彼女はとても小さく見えた。
「ニュースを見たの」
そう言うと彼女は目を閉じた。

「西崎さんのおうち、大変なことになったのでしょう? それに、小林さんのところも……」
知ってたんだ。別にかくそうと思ったわけじゃないけど、わたしは黙ってうなずいた。
「でも、二人は無事だよ。西崎さんもリッキーも……」
早苗ちゃんは小さくうなずくとわたしを見て言った。

「ねえ、募金のお金、どれくらい集まった?」
「およそ1千万円」
「そんなに?」
「うん。だから、心配しないで。きっと早苗ちゃんの移植手術叶うと思うから……」
すると、彼女は小さく息を吐いて言った。

「そのお金、彼らのために使ってあげて」
「えっ?」
わたしは驚いてその顔を見た。
「ねえ、そうしてあげて……。家や両親を亡くして、とても困っているんじゃないかしら? それに、足りない物もいっぱいあると思う。だから、お願い。募金で集めたお金を彼らにも役立ててあげて」

「だって、そんなことしたら、早苗ちゃんの手術が遅れちゃうよ。それに、リッキーはともかく、西崎のところなんかもともとお金持ちなんだから、何とかなるでしょ? きっと保険とか入ってるよ」
「そうかもしれないけど、保険のお金だってすぐには下りないでしょ? それに、会社が倒産し掛けていたってニュースで言ってた。もしかして、とても困っているんじゃないかしら? わたし、心配なの。ねえ、お願いよ、キラちゃん、わたしはこうして病院にいるのだから、大丈夫。それより、今困ってる人達を助けてあげて欲しい……」
早苗ちゃんは必死だった。しゃべるのだって苦しそうなのに……。

「わかった。じゃあ、二人にきいてみるよ。今、何が必要なのかって……。それで、出来ることがあれば応援する。それでいい?」
「ありがと……」
早苗ちゃんが笑う。それは真夏に咲く黄色いヒマワリの花と同じ、周囲を幸せな風で包み込むようなやさしい笑顔だった。


リッキーがケガをしたので、CDへの録音は中止になった。
でも、今はそんな売上に頼らなくても、お金がかせげるようになったから心配ない。
矢崎や明彦もすぐに家に帰されたので、わたし達は狩りを続けることにした。

早苗ちゃんが言うように、募金のお金をリッキー達のために使おうとすれば武本先生に許可を得なきゃならない。
だめとは言わないかもしれないけど、先生に会うのはいやだった。
だから、かせいだお金から回すことにした。
リッキーは喜んでくれた。けど、西崎には会えなかった。でも、親戚の家にいるみたいだからいいよね。


そして、夏休みも終わりが近づいて来た頃、大きな収穫になりそうなレースがあった。
わたしは歩道橋の下で仲間を待っていた。
「アキラ!」
急に呼ばれて振り向くと自転車に乗った裕也がいた。

「おまえ、親父狩りやってるそうじゃないか? 何でそんなことするんだよ!」
「聞くまでもないでしょ?」
わたしはすまして言った。
「そんなのやめろよ!」

「やめろですって? それじゃあ、お金が集まらなくて、早苗ちゃんが死んでもいいって言うの?」
「そんなこと言ってないだろ? それに、早苗さんだって悲しむと思うよ。そんなことして集めたお金だって知ったら……」
「あんた、まさか早苗ちゃんにそのこと言ったんじゃないでしょうね?」
「言ってないよ。でも……。きっと彼女は喜ばない。やめろって言うに決まってる」
「だったら、言わなきゃいいでしょ? これは善意の人の寄付で集めたお金。そう信じてくれればいい。どんな金だろうと、手術が成功してしまえば彼女は生きられるんだ」

「でも、それを知ったら彼女、苦しむんじゃないかな?」
「わかった風なこと言わないでよ! だったら、どうやって1億円ものお金を集めるって言うの?」
「それは地道に募金活動をして、プリドラのCD売るとか……。リッキーだってあと何日かで退院できる。そしたら……」
「間に合わないよ。だから……」

わたしはイライラしていた。もう待ち合わせの時間。矢崎達が来る。背後でバイクの音がした。わたしは強引に裕也から離れようとした。でも、止まったバイクに乗っていたのは平河だった。
「どうして?」
「おれが平河さんに連絡したんだ」
裕也が言った。
「乗れよ」
平河が真剣な目で言う。
「けど……」

そうこうしているうちに矢崎達が来た。
「アキラ、どうした? 痴話げんかか?」
矢崎がからかうように言う。
「ちがう! こいつらが勝手に行くななんて言うから……」
わたしが言うと平河が口をはさんだ。

「おれは別に止めてないぜ」
「平河さん!」
裕也が驚いて叫ぶ。わたしだって驚いた。
「おれのバイクに乗れと言ったんだ」
「ほう。どういうことだ?」
矢崎がきいた。

「いざという時、おれの方が安全だと言ったんですよ」
「何?」
矢崎が睨む。ヤバイ。このままじゃケンカになっちゃう。
「こいつは彼女専用のメットです。もともと、アキラを誘ったのはおれなんだ。横からちょっかい出すのはやめてください」
それって……。

「どうしても彼女が狩りをやめないと言うのなら、おれが彼女の護衛をします」
「ちょっと、平河さん、話が……」
裕也はあせってそう言ったけど、矢崎がそれをさえぎった。
「ほう。じゃあ、おまえも狩りに加わるってんだな?」
「いえ。でも、現場までは行く。その代わり、ヤバくなったら真っ先に彼女を連れて逃げます」

矢崎は少しの間考えていたみたいだけど、すんなりとうなずいた。
「いいだろう。戦女神がいっしょなら、ツキが落ちることはあるまいよ。それに、女を乗っけてたんじゃ、おれも本領を発揮できねえからな。よし! 平河、彼女はおまえに任せた。だが、走るのはおまえがセンターだ。ずらかろうなんて思うなよ」
「わかりました」
平河が神妙な顔でうなずく。
「乗れよ」
彼はもう一度わたしに言った。

「わかった」
わたしは素直に乗った。そして、彼がくれたヘルメットをかぶる。
「平河さん!」
泣きそうな顔で裕也が叫ぶ。でも、すでにエンジンは指導している。

「へへ。てめえも乗れよ!」
矢崎が強引に裕也を引っ張る。
「い、いえ、おれは……」
「いいから乗れよ!」
あとから来た今井と明彦に掴まれ、無理にバイクに乗せられていた。歩道に転がった自転車を今井が端に寄せる。
そして、わたし達は出発した。

平河の背中、久し振りだ。
「ねえ、何でいっしょに行く気になったの?」
「さっき言った通りさ。おまえを守りたかったんだ。おまえがこないだ警察に連れて行かれたって聞いたからさ」
「あんたなら、警察からも逃げられる?」
「ああ。地の果てにだって逃げてやる」
明かりのつかない街灯の上に半分欠けた月が浮かんでいる。わたし達は、その先を目指していた。


  渦潮の中でいつも あなたを待っていたの
  速い水の流れの中で 凍りついた約束の羽を広げて


たくさんのバイクに囲まれて、流れて行く光。それはまるで黒い川のようだった。
仲間はどんどん増えていた。もともと「大蛇神」のメンバーは多かったし、仲間から仲間へと伝わって、わたしが提示した趣旨に賛同してくれた者達や、縄張り争いの末に風の力で強引に屈服させた連中もいた。
いつも全員が集まるわけじゃないけど、今日は30人くらいいる。

「お願いです。降ろしてください! おれ……」
裕也が泣きごとを言ってるのが聞こえる。矢崎がわざと蛇行運転していたからだ。
「小便ちびったか? 中坊」
裕也は青い顔をして矢崎にしがみついてる。

「矢崎さん、あんまり中坊をいじめないでやってくださいよ。そんな人質とらなくてもおれ、逃げたりしませんから……」
平河がバイクを寄せて言う。
「だが、見られたのも確かだからな。どのみち、今日のところはいっしょに来てもらうさ」

その日の狩りは順調で、あっと言う間に数百万の利益を得た。そして、狩りが済んだら、素早く撤収する。
今日は大きなレースがあったからこれほどのメンバーが集まったけど、普段はみんなそれぞれの場所で活動している。

「キラちゃん、これ、差し入れ」
みんなが、お菓子やアクセサリーなんかをくれた。
明彦も早苗ちゃんにと髪飾りをくれた。
わたしはそれを病院に持って行った。


「きれいな絵!」
わたしは早苗ちゃんの枕元に飾られていた額入りの絵を見て言った。
「武本先生が下さったの。病院には生のお花を持って来れないからって……。ステキでしょう? ガーベラの花。先生はもともと花専門の画家なんですって……」
「そうなんだ」
それはまるで本物みたいに見えた。今にも香りがただよって来そう。これが平面に描かれた絵だなんて信じられなかった。

「わたしもお見舞い預かって来たよ」
そう言って真珠の髪飾りを渡した。
「わあ! きれい……。キラちゃんが付けたらいいのに……」
「だめだよ。これは早苗ちゃんにって明彦がくれたんだ」
「明彦?」

「風見内科の息子。早苗ちゃんのこと話したら、いっぱい寄付をくれたんだ」
「だったら、連れて来てくれればよかったのに……」
「忙しいんだって……それで預かって来たの」
早苗ちゃんはじっとわたしを見つめて言った。

「キラちゃんはどっちが好きなの?」
「えっ?」
「こないだ来た平河君とその明彦って人」
「好きとかそういうんじゃないよ。どっちも友達」

「そうかなあ。キラちゃん、かわいいからモテるんでしょう? あまり男の子を弄んじゃだめだよ。ローレライみたいになっちゃうよ」
早苗ちゃんはそう言って笑った。今日は元気だ。このガーベラの絵みたいにピンク色に輝いてる。それは、崇高な美。そういう花言葉なのだとあとで夏海さんに教えてもらった。お見舞いにはよく使われる花なんだって……。少し安心した。


2日後、退院したリッキーはマー坊のおばあさんの家に住むことになった。そのマー坊は今、神戸に行ってるんだけど、家には生活できる物がみんな揃ってるから、貸してもらったんだって……。そこで、プリドラのみんなとメッシュのお姉さん達も呼んで退院祝いをやった。
「ごめんね。明彦にきいてみたんだけど、育美さんのことに関してはよくわからないって……」
そう。本当に何もわからなかったのだ。他のみんなも同じだった。

「こうなったら、おれが藤ノ花に入るしかないな」
リッキーが言った。
「でも、あそこ、偏差値高いんだろ?」
メッシュがきいた。
「ああ。夏休み前に担任にきいたら鼻で笑われた。けど、おれは諦めねえ。絶対に姉ちゃんをいじめた連中の証拠をつかんでやるんだ!」
リッキーがそう息を撒く。

「でも、その前に生活を何とかしなきゃだろ? 保険とか入ってたのか?」
裕也がきいた。
「それが……。何カ月か前に解約しちまっててさ。貯金もねえし、バイトでもすっかな」
「そうか。じゃあ、できるだけ差し入れ持って来るよ」
夏海さんが言った。

空になったお皿をキッチンに持って行った時、楓さんが来てささやいた。
「キラちゃん、紹介してやったら?」
「えっ?」
「知ってるんだよ。あんたが暴走族の兄ちゃん達と親父狩りやってること」
蛍光灯が瞬いて、床がぎしりと鳴った。

「夏海さん達も知ってるの?」
「ううん。あの子は知らない」
その口元がわずかにゆがむ。わたしは流し台の前に立ったままうつむいた。でも、そんなわたしに近づいて、楓さんは言った。
「わたしは反対しないよ。世の中理不尽に出来てるんだもの。盗れるとこから盗ればいい」
部屋の方では夏海さん達が一生懸命リッキーを励ましている。双子でも考えがちがうことがあるんだって、わたしは初めて知った。